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福岡市内祭り。「博多祇園山笠」の説明と「飾り山」の写真を是非ご覧下さい。

f:id:himawari928:20170711040014j:plainこの画像は九州ウォーカー引用。

博多祇園山笠 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E5%A4%9A%E7%A5%87%E5%9C%92%E5%B1%B1%E7%AC%A0

博多祇園山笠とは?■
博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)とは福岡県福岡市の博多区で毎年7月1日から7月15日にかけて開催される700年以上の伝統のある祭である。櫛田神社にまつられる素戔嗚尊に対して奉納される祇園祭のひとつ。正式には櫛田神社祇園例大祭。博多どんたくとともに、博多を代表する祭りである。

画像はそれぞれの流れで作られた「飾り山」は静です。 「静から動へ」本番は「舁き山」は担いで走る。動へうつります。

今回この画像は私mariaが撮影してきたものです。「飾り山」をいくつか撮影してきたので、こちらでご覧くださいね。

🔸博多駅前広場に奉納された「飾り山」

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♡表と裏があります。

🔸西日本一の繁華街。私も勤めてる「中洲」です。この中洲の「中洲流れの飾り山」です。 中洲大通りのホテルリソナの前に設置されています。

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こちらも表と裏があります。そしてこの中洲流れの舁き山は、一番上の画像です。1トンあります。それを担いで走ります。

🔸中洲の端にある「川端流れの飾り山」です。川端商店街の中に設置されています。

舁き山はこちら。これは私が撮り忘れてきたので、九州ウォーカーさんのお借りします。 f:id:himawari928:20170711041807j:plain f:id:himawari928:20170711041827j:plain

川端流れだけは「飾り山」を担いで走ります。他のは1トンですが、川端流れは2トンのを担ぎます。そして人形の口から、ドライアイスでの煙りを吐きます。これはとてもカッコいいですよ。

こちらも表と裏があります。 f:id:himawari928:20170711042218j:plain f:id:himawari928:20170711042322j:plain

いかがでしたでしょうか?これがまだまだ福岡市内に設置されていますから、出来るだけ沢山撮ろうかなと思っていますが、体力があれば。ということで( ゚艸゚;)

まぁ福岡の人以外は興味がないかもされませんが、ユネスコ文化遺産にも登録されたので、是非これを機会に時間ある方は福岡市内に祭りを見にきて下さいね。

福岡ではNHKでライブ放送され、他の局もライブ放送をします。

さて、次からは、山笠のことを少し説明させて下さい。

博多祇園山笠の歴史■
博多祇園山笠の起源については諸説あるが鎌倉時代の1241年(仁治2年)に博多で疫病が流行した際、承天寺の開祖であり当時の住職である聖一国師円爾)が町民に担がれた木製の施餓鬼棚に乗り水を撒きながら町を清めてまわり疫病退散を祈祷したことを発祥とするのが通説である
豊臣秀吉と関係ある?■
枠内の安土桃山時代、島津氏と豊臣氏の戦いにより博多の街は焼け野原となったが、豊臣秀吉が帰国の際、博多の街をいくつかの区画毎に「流」(ながれ)としてグループ化し復興を行った(太閤町割)。この「流」が博多祇園山笠のグループ単位の発祥である。戦後の一時期、山笠を建てた流は13流に増えたこともあったが現在の「流」は恵比須流・大黒流・土居流・東流・西流・中洲流・千代流の7流である(福神流は山笠を建てない)。
博多祇園山笠フィナーレ。■
7月15日:追い山、鎮めの能 博多祇園山笠のクライマックスにあたる行事(タイムトライアル)。4時59分に一番山笠が山留めをスタート、博多の総鎮守櫛田神社境内の清道を回って奉納する。その後、二番山笠から八番山笠「走る飾り山」までが5分おきに出発し多数の男たちが交代を繰り返しながら博多の町を舁き回り、須崎町の廻り止めまで約5kmのコースを駆ける(八番山笠は別コース)。 山笠が清道を回り終えると、櫛田神社境内にて喜多流能楽師により紋付き袴の姿で「鎮めの能」が舞われる。 スタート時刻が4時59分と言う中途半端な時刻なのは一番山笠のみ櫛田神社境内で祝い歌「博多祝いめでた」を歌う1分間が与えられており、5分おきと言う山笠の出発間隔を調整するためである。 各流では追い山が終わると直ちに飾り山・舁き山などを解体し、その年の行事を終える。しかしその時点で、すぐに次の年の行事に向けての動きを始める。

2016年去年の追い山フィナーレの動画。YouTubeより

https://youtu.be/kgvJEAaPCcA


博多祇園山笠2016~追山笠櫛田入り~

山笠の明日7月11日からのスケジュール

■7月11日 朝山笠■
これも流舁きであるが、早朝に町総代や旧役員を呼んで接待するところから祝儀山とも呼ばれる。 招かれた総代らは帷子(かたびら)に角帯を締めて出席、台上がりは白麻の半纏(はんてん)を着用するのが慣わし。 また、当番町の子供たちもこの日だけは山笠の「杉壁」内に乗せてもらえる。f:id:himawari928:20170711043617j:plain
■7月11日 他流舁き■
1日2回舁くのはこの日だけ。 流の外に出るところからこの名がある。 櫛田神社の清道を回る「櫛田入り」の練習をする流もある。f:id:himawari928:20170711043648j:plain
■7月12日 追い山笠ならし 午後3時59分■
文字通り追い山笠のリハーサル。 一番山笠から順次「櫛田入り」して奈良屋町角の廻り止め(ゴール)までの約4kmのコースを全力で舁く。 一番山笠は追い山笠同様、「櫛田入り」の際、山笠を止めて「博多祝い唄」を歌う事が認められている。 「櫛田入り」「コース」とも所要時間を計測する。f:id:himawari928:20170711043839j:plain
■7月13日 集団山見せ 午後3時30分■
福岡市の要請で昭和37年から始まった。 当初は昭和通りで行なわれていたが、昭和58年からは明治通りの呉服町交差点~天神(福岡市役所)間約1.3kmが「舞台」だ。 この日に限り、知名士が台上がりを務め、棒さばき役の各流総務ともども舁き手を叱咤激励する。

■7月14日 流舁き■
未熟な舁き手にとっては、その年、山笠が舁ける最後のチャンスでもある。追い山笠では、慣れた若手やベテランの舁き手が交代で山笠に付くからだ。 「櫛田入り」の練習をする流もある。

■7月15日 追い山笠 午前4時59分 ■
太鼓の合図とともに一番山笠から順に「櫛田入り」。 その後、境内を出て旧博多部に設けられた約5kmの「追い山笠コース」を須崎町の廻り止め(ゴール)を目指して懸命に舁く。 「櫛田入り」「コース」ともに所要時間を計測する。 櫛田神社能舞台では午前6時から荒ぶる神様に捧げる鎮めの能が演じられる。f:id:himawari928:20170711043936j:plain

皆様。いかがでしたでしょうか?福岡自慢の祭りです。

ただし、これは参加は「男」だけです。女は不浄のものとされています。なので、この時期は山笠に出る男は、まぁ女性禁断をしないといけません。一緒にご飯とかそういうのはいいのですが、夜の生活は禁止ということです。すればケガすると言われていますよ。

また飾り山の画像が増えたら載せたいと思います。今回だけでは語りつくせないので、もし、行かれる方の為に、「山笠の見方」も次回書けたらいいなと思っています。

山笠を見に福岡へわざわざ来られた方が楽しんでもらえるようにしたいと思っています。

それでは「博多祇園山笠」第一弾。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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